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空華で見た(5)松村智恵子ダンス at吉村浩美展

松村智恵子ダンス at 吉村浩美展に見た
上州文化の底力

2016年ももう半年を過ぎましたが、
昨年11月、ギャラリー空華で行われたオープニングイベントについて、
遅ればせながら書かせていただきます。
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作品と対話しながら踊る

11月8日、その日はギャラリー空華の開設1周年記念、
吉村浩美さんの乾漆彫刻展のオープニングの日でした。

舞踊家の松村智恵子さんが、二回、会場で踊る予定になっていました。
ベランダから登場する、と聞いていたのですが、
あいにく朝からこぬか雨が。

しかし。
晴れ間ののぞいたとき、期待して待つ観客の前に、
ベランダの右端から、松村さんの「踊る足」が登場したのです。
足を見ただけで違いがわかる、まぎれもない舞踏家の足でした。
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吉村浩美さんの作品「そらまめ」を手に持ち、
作品の間を踊りながら動いていく松村さん。

作品と、そして作品の置かれた空間と対話しながら
空間の意味を変えていくようなその動きは、
さながら生きる彫刻のようでした。
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大野一雄の孫弟子

終了後にお話をお聞きしました。
前橋市出身、中之沢美術館など県内の文化施設を舞台に、
絵画や彫刻とのコラボレーションも多い松村さん。

こうしたスタイルのダンスを始めたきっかけは?
とお聞きすると、なんと、高校の先生に舞踏を学んだことから、
というのです。

高校時代、山口直永先生が指導するダンス部で、
即興で踊るダンスを学んだそうです。
そして、その山口先生は、なんと、日本を代表する舞踏家、
大野一雄さんの弟子のひとりなのだそうです。
いわば松村さんは、大野一雄の孫弟子といってもいいわけです。
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大野一雄さんは、戦前に東京で体育教師としてモダンダンスを学び、
太平洋戦争に従軍し生還。
戦後は創作ダンスの公演活動を行い、
1950年代~60年代より、土方巽とともに
日本的な身体表現による「舞踏」を開拓。
80年代からはヨーロッパなど海外での評価が高まり、
国際的に公演活動を行いました。

高齢になっても自らの身体を限界まで生かして踊り続け、
多くの後進を指導。
2002年、越後妻有で行われた第二回大地の芸術祭では、
生け花作家、中川幸夫さんとのプロジェクト「花狂」で、
座ったまま花を降らせるというパフォーマンスを行ったことが
今も多くの人の記憶に残っています。

大野さんは2010年に103歳で亡くなりましたが、
その踊りの精神が、松村さんの踊りに継承されていると思うと、
感慨深いものがあります。

高校のダンス部で、舞踏を学んだ松村さん。
その松村さんに表現の場を用意するアーティストたちや、施設の皆さん。
そうした地域の輪の広がりが、日本独自のアートフォームである
BUTOH―舞踏―の流れを絶やさずに生かし続けているのですね。
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空間に助けられた

ギャラリー空華で踊って、いかがでしたか?
とお尋ねすると、松村さんは、
「作品とともに、空間に助けられた部分もありますね」とのこと。

小さな玄関を入ると、吹き抜け空間が思わぬ広さを感じさせる
このギャラリーで、
踊りが創造される瞬間を見ることができたのは、
とても刺激的な体験でした。
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参考リンク
松村智恵子さんのサイト
http://www.odoruhitono1.com/
大野一雄公式webサイト
http://kazuoohnodancestudio.com/
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